とうとう「 内閣総理大臣 」が決まりました。
ですが、やはり決まるまでの駆け引きがすごかったですね。
これにより、誰が「 誠実 」「 不誠実 」だったかが判ったと思います。
そしてこの後、それぞれがどのような立ち回りをするのかとても見ものです。
さてこれにより、日本の舵取りが大きく変わる可能性が高くなりました。
これが功を奏すのか裏目に出るのかは、今後の進め方次第です。
それで物価高や減税などの対策も大切ではありますが、私は外国人問題が非常に気になります。
この国には多くの外国人( 帰化した人も含む )も暮らしていますが、その中には「 不法移民 」や「 不法滞在 」などの「 違法 」をする人も多いだけでなく、やみくもに擁護している人たちも少なくありません。
そして、そのような人たちのほとんどは、なぜか日本や日本人を批判しています。
そのためか、日本人と外国人との対立が目立って来ているのが現状です。
しかし、逆に日本や日本人を好きで賛美している外国人も、たくさんいることも判っています。
このようなことは、どうして生まれるのでしょうか?
これを、ただ「 マインド 」に操られたまま対立し合うのではなく、「 ハート 」から余裕を持って観てみるともっと別のことが、表に現れてきます。
まず詐欺や乗っ取りなど犯罪ありきの「 不誠実 」は除くてして、育った環境や教育や宗教などによって、価値観が違って来るのは仕方ないことです。
ですから観るのはそれらも併せて、「 現時点 」がどうなっているかになります。
私たちが「 生きる 」うえで、いろいろなものが必要です。
物理的にも必要なものはたくさんありますが、とくに精神的なものは強く持てるものが必要になってきます。
そのひとつが、自分というものを成り立たせている心の「 拠り所 」です。
それが無いと、自分というものを確立するのが難しくなります。
そして次に、自分がこのまま居てもいいという心の「 居場所 」です。
それが無いとひとりぼっちになったり、彷徨って探し続けることになってしまいます。
そうすると、それの似た者同士が集まるのも納得できるのではないでしょうか?
またそれぞれが何を「 拠り所 」とし、何を「 居場所 」に選んでいるのかが、おおよそ観えてくると思います。
それらが有ることで自分を容認しているのですから、それらを脅かそうとする人たちと対立するのは、やむを得ないことなのかもしれません。
特に、「 拠り所 」も「 居場所 」も選択肢がとても狭く、限定したものにしがみ付いてしまう人は、切羽詰まってしまい余裕を持つことが困難です。
ですから、それを必死に守ろうと一方的な攻撃が多くなり、言葉にしろ行動にしろ乱暴になってしまいます。
逆に、「 拠り所 」も「 居場所 」も選択肢が広く、最適を見つけれる人は臨機応変にこなしがちなので、切羽詰まってしまうことは少なく割と余裕を持っていられるのです。
ですから、ある程度のものまでは穏便で言葉も行動もそれ相応になります。
これが切羽詰まった同士だとすると、どちらも余裕が無いので激しい衝突が起こりやすくなる訳です。
だとすると対立しないためには、余裕の有る人が余裕の無い人に合わせていくか、余裕を持たせるようにしていくか、接触しないようにするかになります。
とことん追い詰めるなどして打ちのめし、強制的に「 拠り所 」や「 居場所 」を変えさせるように気づかせるというのもあります。
しかし、上手く行かないともっと大きな対立へと発展しかねません。
どれが良いかはその時々で変わって来るとは思いますが、余裕の深さによっても対応や反応も変わってきます。
その余裕の深さとは、自分や相手の心の奥まで理解することです。
ただ知っておいてほしいのですが、余裕の深さは財産や権威などで得られるものではありません。
なぜなら財産や権威などで得られる余裕は、窮地になれば切羽詰まって失われてしますが、深さのある余裕は窮地になっても変わることがないものだからです。
余裕は「 本質 」に近くなるほど深くなりますので、そんな「 拠り所 」や「 居場所 」を観つけてくださいね。


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