今はもう陰( 精神文明 )側の流れに突入しているので、陽( 物質文明 )側を強く求めれば求めるほど、混乱し苦しみを味わう可能性が高くなっています。
これをもっと深く観るならば「 本質 」に沿った生き方の流れで、「 本質 」からズレた生き方を強く求めているとも言えなくはありません。
この「 本質 」に沿うとは、自分の「 真の姿 」から来る「 真の想い 」を軸に生きるということです。
ですから逆に「 本質 」からズレるというのは、私たちの「 真の姿 」から来る「 真の想い 」ではない軸で生きるということになります。
もう少し簡単にすると、自分と思っている「 仮の姿 」から来る「 仮の想い 」を軸に生きるということです。
ここで出てきた「 真の姿 」が「 真の想い 」を持ったものを、よく「 真我 」と言われています。
そして、「 仮の姿 」が「 仮の想い 」を持ったものが「 自我 」と言われ、多くの人たちが「 自分 」だと思い込んでいる姿です。
現時点での日本または世界の現状を見れば、「 自我 」優位で作ってきた時代が多くの混乱と争いを造り、未来に何を残すのかはみなさんから見てもよく判ると思います。
それでも比較的に日本は、外国から見て異質であると捉えられているのは、「 自我 」優位の世の中でも「 真我 」の教えが日常に溶け込んでいるからです。
「 真我 」を判らなくても、「 真我 」に沿っているような行いの多くを知らずにしていることは、ある意味で素晴らしいことだと思います。
それは遥か遥か遠いいにしえの先人たちの想いを、何とか継続しようと受け継いできた結果です。
きっと他国にもあったと思われますが、ほとんど形を残していないのだと思います。
ただ、近年の日本でも大きく崩してきているので、新しい流れの力を借りて再構築することを求められている訳です。
その際に、知らずにするのではなく学んで「 誠実 」に出来るようになれば、「 真の姿 」の「 真の想い 」である「 真の愛 」を持ってすることが出来るようになるかもしれません。
「 真の愛 」を持った時、ひとつひとつの充実感は確実に変わってくることでしょう。
これからは特に、それを学び、それを知り、それを伝え、それに沿って生きていくことを優位にして行けば、みなさんをうまく導いてくれるはずですよ。
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