自分でいくら「 純粋 」だと思っていても、周りの人たちはそのように見ていないかもしれません。
それは別の言葉で当てはめてみると、尚判りやすくなります。
例えば、「 誠実 」「 品行方正 」「 聖人君子 」などです。
これらどれもが自分から言うものではなく、周囲の人たちから見られたり言われたりするものです。
ただ周囲が高評価したとしても、実際はその様を取り繕っているだけで違うかもしれません。
これらのように自分が「 純粋 」かどうかというのは、なかなか他人からの印象や自己申告では判らないものなのですね。
ちなみに、みなさんの真の姿は「 純粋 」そのものです。
ですが「 人 」として生きているので、「 純粋 」そのものではありません。
つまりは人それぞれによって、どれだけ「 純粋 」に近いかが変わってくるのです。
それを前回、「 純粋 」の度合いとして「 純度 」と書きました。
もし、この「 純度 」を自分で計る「 指標( バロメーター)」があれば、とても便利だと思いませんか?
ということでプライベートや颯清堂での学習や経験、臨床などから得られたものを簡単にして書いていきますね。
まず「 不純 」または極端に「 純度 」が低いと、大体良くないことが起こりやすくなります。
また、連続して起こることも少なくありません。
そして、それらを自分以外の原因や責任にしようとする傾向が有ります。
ですから、グチや怒りが多くなり心も不安定になりがちです。
そうすると周りを観る余裕も無く、適正な判断を逃しやすくなります。
次に「 純度 」が低いと、時々良いことが起こりやすくなります。
ごく稀に連続して起こることもありますが、ほぼ単発です。
そして、それらを偶然や迷信レベルのラッキー程度などと思いながらも、どこか「 棚ぼた 」的なことを期待し過ぎる傾向が有ります。
ですから上手くいかないことも多くどこかモヤモヤしがちですが、心の不安定さは少し和らいでいます。
そうすると自分を追い詰めやすく、越えられない壁は自分以外への要求となり、周囲の影響( 意見や考え方など )を過度に受けやすくなります。
その次に「 純度 」がある程度あると、良いことが度々起こりやすくなります。
さらに連続することも度々起こり、「 運 」や「 流れ 」が良いほうだと感じてきます。
そして自分の考え方や行動に確信が出て来ますが、過度な世俗的な欲望へ走る傾向が有ります。
ですから心は割かし安定しているほうですが、いろいろなことを欲望のために利用しようとします。
そうすると自分への過信から、前後や良し悪しなどの見境がなくなり暴走しやすくなります。
最後に「 純度 」が高いと、良いことが頻繁に起こります。
連続もビックリするぐらい起こることもあります。
そして、どのような状態が良いかを感じ取ってコントロールするようになるので、落ち着き過ぎる傾向が有ります。
ですから心はとても安定していますが、穏やかになり過ぎて活発さは薄れていきます。
そうすると、自分の真に求めるものを探すようになり、余分な欲望への興味が削れていきます。
このように「 純度 」が高くなっていくほど、心は安定し落ち着いていきます。
また、欲求も絞られて行きますので「 良いこと 」という中身は変化していきますが、本当に必要なものは何気に手に入りやすくなります。
つまり現在の結果を見れば、おおよそ判るということです。
また、別ブログの過去記事( ココ )で書いたこれも関連してくるので、併せて読んでみてください。
みなさん、出来るだけ「 純度 」を高めてくださいね。
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