毎日洗濯物を洗濯しているのですが、ある時から洗濯後なのに黒っぽい小さなゴミのようなもの( カビ )が付着するようになりました。
多分、洗剤を変えてから発生するようになったように思います。
それで、洗濯槽を洗浄剤でゴミを浮かせて綺麗にすると洗濯物にゴミが付かなくなることから、特に洗剤が洗濯槽を汚して洗濯物を汚しているようです。
ただ洗剤は変えたくなかったので、定期的に洗濯槽を洗浄するようにしていました。
それが前回より長い間隔が開いて、もうそろそろやらないといけないなと思っていたところ、ゴミが微妙に付着するようになってしまい慌てて洗浄したんですね。
ですが、洗浄後の水だけ入れる空チェックでも微妙にゴミが出るので、よく見てみると洗濯槽の穴に沢山こびり付いていました。
ということで、400以上ある穴を一個一個掃除して再度洗浄剤を使ってみたのですが、最初の半分位のゴミが浮き出て来てビックリです。
こんなに隠れていたことに驚きと反省をして、今後気をつけようと思いました。
これが今回の事でなったのか、今までの蓄積でなったのかは判りませんが、綺麗を保つためには綺麗にすることを疎かにしてはいけないということを、しっかり教えられたように感じます。
それでふと頭をよぎったのが、「 心 」に関しても同じだということです。
例えば、洗濯物を「 心( 自我 )」、洗剤を「 願望 」、洗浄剤を「 浄化法 」、洗濯槽を「 本質( 真我 )」とします。
汚れなき洗濯槽で汚さない洗剤を使って洗濯物を洗うことで、仕上がりは綺麗になります。
しかし洗濯槽が綺麗でも汚す洗剤を使っていると、洗濯槽はいずれ汚れが付いてしまい洗濯物も汚れて仕上がります。
そこで、いざ洗浄剤を使って洗濯槽を綺麗にしようとしても、こびりついた汚れはある程度しか取ることが出来ません。
ですから、出来るだけ汚さない洗剤を使いこまめに洗浄剤で出来るだけ汚れを落として、洗濯槽を出来るだけ綺麗に近づけておくことで、心を出来るだけ汚さないようにしやすくなります。
つまりは「 心 」を綺麗にしようとしても、「 願望 」の選択を間違ってしまうと「 本質 」から遠ざかって、返って心を汚してしまいます。
ですから私たちは、出来るだけ「 願望 」を「 本質 」に沿ったものにしておいたほうが、「 心 」への影響が良いものになるということです。
なぜ「 出来るだけ 」かといいますと、人としてこの世を生きる以上は「 綺麗 」も「 汚い 」も、両方で成り立つ世界なので拒絶出来ないからです。
そして生きていく中で、初めから良い願望を選択するのは難しいですし、すべて良い願望を選択するのも難しいと思います。
だからこそ、こまめに「 浄化法 」などで、こびりついたものを取り払い「 本質 」に近づけておくことが必要となるのです。
もちろん、どのように生きるかを決めるのはみなさん次第ですし、その結果どうなるかもみなさん次第です。
しかし今の世の中をこの洗濯と照らし合わせれば、何をどのようにしてきたかが判るのではないでしょうか。
それはひとりひとりの「 心 」が、全体にも影響しているということを意味しています。
みなさんは自分の人生を、この世の中をどのようにしたいですか?
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