みなさんは「 救世主 」というと、どんな存在を思い浮かべますか?
多くの人は、どうしようもない世の中の大きな苦しみや不安を、奇跡的に吹き飛ばしてくれるような存在を思い浮かべるのではないでしょうか?
例えば「 イエスキリスト 」や「 釈迦 」などのように、偉大さが沢山語り継がれているような人物を。
そのような偉大でなくても、それなりに苦しみや不安を救ってくれた人物は多くいると思います。
ただ、そのような伝説も史実もあるのに、世の中には苦しみも不安も無くなってはいません。
そうやって見ると、救いは一時的とも言えます。
すべての「 救世主 」に言えることではありませんが、救いは本当に一時的だったと思いますか?
実は全然そんなことはなく、現在でも救ってくれています。
しかし、多くの人はそのことに気づいていません。
そのため、今ある苦しみや不安を表層だけ見ており、それを無くしてくれる「 救世主 」を、いつでもいつまででも求め続けます。
一部の「 救世主 」は、表層を無くしただけでは真に救われないことを知っています。
そのため、真に救われる「 方法 」を「 教え 」たのです。
つまり、一部の「 救世主 」はより多くの人に「 方法 」を「 教え 」ることで、真に救われる人を増やし、苦しみや不安を感じる人を減らそうとしているのです。
その「 教え 」が、遥か昔より現在まで伝えられて、それによって救われた人もいました。
そして、ここ十年でも大きな時代の流れの影響もあって、急激に増えているようです。
また「 救世主 」にありがちな、「 カリスマ性 」や「 超能力 」などは、多くの人に影響を与えようとするのに必要かもしれませんが、真の救いには必ずしも必要がある訳ではありません。
なぜなら真の救いは、ほとんどが誰かにしてもらうものではなく、本人が自身に対しておこなうものだからです。
このように一部の「 救世主 」は、その人自身が自分を真に救うことが出来る「 真の救世主だということを気づかせる 」という役目を担っています。
したがって一部の「 救世主 」は、誰かを真に救う「 救世主 」だとは自分で思ってもいないし、宣言したりはしないでしょう。
ですから本人自身以外の「 救世主 」に、過度に崇めたり依存などをしないよう、気をつけて下さい。
以前にも別ブログで、似たことを ココ に書いているので読んでみてください。
耳がネズミにかじられて無くなった「 猫型ロボット 」に、いつも助けてもらっているとそこに「 救世主 」の姿を見てしまい、「 ドジな少年 」のようになかなか抜け出せなくなってしまいます。
助けてもらえるのはとても有難いですが、真の救いにはならないことを心にきちんと留めておいてくださいね。
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