前回の記事で、リンクを一部間違えて張っていました。
話が解りずらくなって、誠に申し訳ありません。
元の記事( ココ )の方は修正しましたが、正しくは ココ の話になりますので、よろしくお願いします。
以前のブログのひとつ「 幸せの手引書 」には、わりかし具体的にいろいろ書いてきていますので、これからの人にはそちらを先に読んだ方が何かと理解しやすいと思います。
それで前回書いた、「 満足していないと言いながら、満足しているパターン 」の人たちというのは、けっこう多くいます。
そのほとんどの人たちは他まかせが多いのですが、自分でやろうとしたとしても違う方向で頑張ってしまうことが多いようです。
そのため、よくやりがちなのが自分の奥を変えずに、表面的なことを一生懸命変えようとしてしまうことです。
つまりは「 至福 」からズレたところを、何とかしようとするのです。
そのズレが大きければ大きいほど、奥まで影響を与えることは難しくなります。
ですから、いつまでたっても結果的に良い方へ向かうことが少なく、何回も同じ過ちや悩みを繰り返してしまいます。
ただその後にどうするかで、いかようにも変えることは可能です。
まずある程度であきらめてしまう人は、そこから変わることはほとんどないでしょう。
ずっと、そのままです。
次にいろいろもがく人は、やがて限界が来るでしょう。
このような人は、あきらめないのでさらに続けてつぶされてしまうか、「 本気 」で奥を「 観つめ直す 」かのどちらかへ振れると思います。
奥を観つめ直すことで道が開けることが判れば、元々あきらめない人なのでどんどん突き進むでしょうね。
ここで気をつけなければならないのが、そのような人は偏りすぎて「 バランス 」を失い易くなります。
それっぽいものなどに騙されないよう、しっかりと観極めることが大切です。
大きくはこんな感じに分けられますが、できたら自分の奥を「 純粋 」なものに近づけてくださいということです。
それが「 至福 」に近づくということ、つまりは「 真我の想い 」へ向かうことなんですが、どうしても多くの人たちは「 自我の想い 」へ向かってしまうんですね。
例えるなら真我は「 平穏 」、自我は「 刺激 」という感じですかね。
真我と自我では想いの「 基準 」が変わってきますが、もちろんどちらを選ぶかは自由です。
ただ「 自我の幸せ 」は、「 真我の幸せ 」に比べればとても些細なものだということは、はっきり言っておきたいと思います。
だからといって、人として生きている限り「 自我 」は無くなりませんので、「 自我の幸せ 」も無くなる訳ではありません。
つまりは自我の想いに振り回され続けるのか、自我の想いを活かして楽しむのか、ということが違ってきます。
ということで、もし「 至福 」に近づくために自分の奥を「 観つめ直す 」のなら、「 貸出用千珠の特別販売 」の第二弾もやっていますので、活用してみてくださいね。
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