最近の世の中では、多くの人が争っているのを目にするのではないでしょうか?
特にSNSでの主張と共に、間接的に絡んで来て暴露したり罵りあったり、訴訟などに発展したりすることも珍しくありません。
ただ本当に争い合っているのか、ビジネス的にやっているのか、注目を浴びたいためにやっているのかなど、いろいろ混ざり合っているので、全部を信じてしまわないように注意が必要です。
そんな中でも沢山の主張を見てみれば、自分の主張と似ているものもあれば、全く逆のものもありますし、新たな視点のものなど、ほとんどは全く同じというのは少ないと思います。
そのため、仲良くしていた人や協力し合っていた人たちの中でも、ちょっとしたことで急に敵対しだしたりすることも、よくあることなのです。
これは、私たちが大まかな共通認識では繋がっているだけで、細かい分類では認識がそれぞれ違うことを意味します。
つまり、大まかな共通認識の世界はあるものの、ひとりづつが自分だけの世界を持っているということです。
このそれぞれの世界は、これまで培ってきた知識や経験などによって構築された「 価値観 」や、自分の心が望む「 優先順位 」などによって変わってきます。
これを基準とした、自分の「 世界観 」で生きているのですが、自分以外も自分と同じ「 世界観 」を生きていると勘違いしてしまうのです。
ですから、お互いが勘違いしているので主張が合わないことがあっても、何ら不思議なことではありません。
ただ、主張が合わないのに衝突する人としない人がいます。
その違いには、「 世界観 」の「 質 」も関係しているのです。
そしてその「 質 」というのが、どのくらい「 本質に近いか 」ということになります。
その差によって争いなどに遭いやすかったり、巻き込まれやすかったりしてしまうんですね。
ですから、そういったものに出来るだけ影響を受けない「 質 」の高い「 世界観 」で生きれば、直接的にしろ間接的にしろ衝突などが起こりにくくなるのです。
どんなに権力や名声、経済力や資産などを持っていても「 質 」が伴わなければ、争いなどに遭う可能性は高くなります。
常に争いが絶えない人たちが、どういった立ち回りをしているかを見れば、その「 世界観 」は見えてくるはずです。
たとえ見えないところでは良い人だとしても、見えるところでやらかしていれば、そういう「 世界観 」で生きているといういう証になります。
また、「 聖人君子 」な「 人 」など居ないという、真に理解している人たちとそれを盾に好き勝手やっている人たちの違いも、「 質 」の差があるからです。
相手の「 世界観 」を知って、理解しようとすることも必要ですが、合わせなければならない訳ではありません。
如何に、「 自分の世界観を本質に近づけるか 」のほうが大切で、そうすることで自分以外の「 世界観 」の「 質 」が、よく観えるようになっていきます。
そのとき、それぞれの「 世界観 」で生きることは、それぞれが「 自由 」であると伴に、それぞれが「 責任 」を負うものと判るのです。
ですから、誰かに自分の「 世界観 」を強制出来るものではありませんし、誰かから強制されるものでもありません。
それがある程度判る「 質 」の人同士なら、お互いの「 世界観 」の違いをある程度理解し受け入れることも可能でしょう。
しかし、強制的に自分の主張を押し付けようとする人たちには、それを理解出来ずに問題が起こりやすく、自分は間違っていないという姿勢なので、その責任を取ることはあまりしません。
そういう「 質 」の人たちは、自ら受け入れることがなかなか難しいですが、受け入れられることも難しいと思います。
あと、ほとんどの人たちは「 世界観 」が結構変動して、安定していません。
そのため、不意に「 質 」が落ちるときがあったりします。
そうすると、衝突が起きやすくなるので注意してください。
「 質 」を高めて、落ちないように安定させることが出来れば、今の世の中でも自分らしさを保ちながら歩んで行けることでしょう。


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