どんどん「 不誠実 」が「 開示 」されている中で、どんな対応をしたかで印象が大きく変わった人も多かったのではないでしょうか?
それは「 反省 」または「 正直 」になったか、それとも「 保身( 地位や名誉などの立場の守り )」に走ったかの違いだと思います。
そこは開示された本人の選択なので、今後の経過も自身の責任になります。
どんなことになろうとも「 後悔 」が無いのであれば、周囲がとやかく言う必要はありません。
本人が、すべてを受け入れるだけです。
それと同じように、この影響を受けた人たちも個々の対応によって自身の責任になります。
それで多く見られるのが、「 X( 旧ツイッター )」や「 ユーチューブ 」などのSNSに、自分の「 お気持ち 」を表明することです。
その多くは、開示された本人などを「 好き嫌い 」などで判断しているように感じます。
つまり「 私情 」を挟んだもので、「 フラット 」には観ていないということです。
この「 私情 」を挟んだお気持ちを、自分自身では「 正当性 」があると信じています。
もし「 フラット 」に観ることができれば、信じるものは「 事実 」だけです。
ですから、そこにはズレた別のものが介入されてしまっている訳ですが、その奥にはさらに別のものが介入していることに、気づける人はなかなかいません。
では、その奥に「 介入 」しているものは何だと思いますか?
それは「 自己防衛( 精神的な守り )」なんですね。
ほとんどの人は、自分の外側によって自分を「 肯定 」して造っています。
それは今まで散々言ってきているので、重々理解していると思います。
その自分以外のお気持ちや評価などが、自分を「 肯定 」しているものと逆だった場合は、自分を「 否定 」されることと同等です。
そのため、自分を「 否定 」しないように自分を守るための選択をします。
さらにはそれを強固にするために、自分に同意する人たちを集めたり作ったりしようとします。
それによって、自分の「 肯定 」感を大きく守り安心するのです。
これは要するに、自分に対して「 不誠実 」をやっているということです。
自分に対して「 誠実 」に接するのなら、まずは「 否定 」感を受け入れ「 フラット 」に戻り、そこから導き出される答えを選ぶことが大切です。
その答えはどちらかを選ぶことになるのか、どちらも選ぶことはないのか、新しいものを選ぶのかは人それぞれです。
ですが、選んだ答えは「 後悔 」の無いものになると思います。
過去のブログ記事( ココ )に、違った出来事からの話ですが似たような事を書いていますので、一度読んでみてください。
本質は同じですからね。
もちろん自分に「 不誠実 」だったとしても、責任を持ってすべてを受け入れる覚悟があるのならそれでもいいですが、真の「 肯定 」を得るにはなかなか難しいでしょう。
なぜなら、自分を偽る状態自体が「 本質 」からズレていることを物語っているからです。
逃げてばかりいては掴めないですよ。
「 勇気 」を出して、挑んでみてくださいね。
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