まだ細かい修正が必要ですが、試しながらでないと判らない部分もありますので、ご了承ください。
さて、今までのブログ「 至福と深み 」では、主に「 至福 」への深い理解を促すつもりで、いろいろと書いてきました。
しかし難解で、何が言いたいのか判らなかった人も多かったのではないでしょうか?
今は判らなくても、「 至福 」に向かって歩んで行けば後々に判るときが来ますので、自分の心に通すだけでも無駄ではなかったことを、いづれ気づけると思います。
もし、気にかかることがあれば、読み返してみてくださいね。
今の時代、心を揺さぶられることが毎日のように起こって、余裕を持てない人が増えており、それに巻き込まれてしまうことも否めません。
ですがそんな時こそ、心静かに落ち着く状態に戻せるようにしておいたほうが、今後のために良いのは想像できるのではないでしょうか。
ぜひ、そんな状態を観つけてくださいね。
それでは早速ですがサッカーワールドカップで、日本が決勝トーナメント進出を決めました。
一試合目では、「 ジャイアントキリング( 大番狂わせ )」が起こり歓喜に沸きましたが、二試合目は期待が外れ悲嘆に暮れました。
そして、三試合目では再び「 ジャイアントキリング 」が起こり、歓喜に包まれました。
この数日で、「 一喜一憂 」「 悲喜こもごも 」して気持ちが揺さぶられ、心が乱されませんでしたか?
中には、監督や代表チームを持ち上げて落としてまた持ち上げるといった、手の平返しが見事な人もいました。
もちろん、このイベントに興味がない人はこんな風にはなりません。
このように、私たちは簡単に心を操られてしまうのです。
ただ「 一喜一憂 」するのが、ダメな訳ではありませんよ。
嬉しいことは嬉しいですし、悲しいことは悲しいのですから、きちんと味わってください。
しかしそこに囚われたままで、ずっと心が固まってしまうことに、注意が必要なのです。
固まったままだと、いろいろな他の出来事に対して、影響された選択や答えを出しやすくなります。
固まっていない人、つまりは余裕のある人は影響されにくいため、他の出来事毎に沿った選択や答えが出しやすくなります。
その余裕のある状態に戻りやすくするためにも、自分と向き合うことが重要なのです。
このイベントを、単なるイベントとして一喜一憂を味わうだけなのか、イベントをきっかけとして一喜一憂に対する心の揺れと向き合って、自分を知ることの助けににするかはみなさん次第です。
いつまでも操られたままでいると、「 至福 」にはなかなか近づけませんよ。
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